2016年3月5日土曜日

「死と瞑想」を開催するにあたって

死と瞑想。

このタイトルは、今年度から瞑想の後に不定期で、テキストを輪読してきた「死について41の答え」という瞑想の師、OSHOの言葉をまとめた本からとっている。

釜ヶ崎の死に問題に初めて関心をもったのは、大阪に引っ越してから初めて住まわせていただい支援ハウス路木(今でも月に1回フェルデンクライスのレッスンをしている)で、なかよくなって1回の交流スペースでよくお話しした、住人のIさんの孤独死がきっかけだった。

Iさんは、アルコール依存症で、毎日200mlのワンカップを7〜8本飲んで、食事も満足のとらず、アルコール依存症専門病院も1週間で勝手に退院してきた直後の、いわば緩慢な自殺とも言えるような最後だった。

Iさんの葬儀は、親族で引き受ける人がおらず、路木が喪主代わりとなってすることとなった。
近親者では、娘さんが一人だけ参列した。

私と同じ年の娘さんは、前の年に結婚していて、結婚相手に自分の父親が釜ヶ崎で生活保護を受給していることを伝えられていなかった。

葬儀の日、どうやって喪服を着て家から出てきたのかわからないが、父親の葬儀とは告げずに出てきたのだろう。
葬式の前に遺品の整理をして、葬儀の間中ずっと号泣していらした。

親族が喪主にならないことも、娘さんが夫に自分の父親の状況を説明できなことも、なにもかも、私がかつて想像したことがなかったような出来事だった。

こんな風に、親族に引き取られずに、葬儀をあげる人がいるのだ。。
というのが釜ヶ崎での死の問題を考えるきっかけとなった。

瞑想とフェルデンクライスの会に参加している人にも「自分は葬式をあげる家族はおらん」という人がいる。
そんな人たち一緒に、死に向かうことについて言葉を出し合ってみたかったし、そこに出てくる言葉を書き留めてみたかった。

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